J-20230618 マティスとヨガと腰痛と

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腰痛とジム

ジムへ行く。今日は父の日で11時から銀座方面で家族ランチをすることになっていることから、ゆっくり目に行く。

今週はずっと腰が不調で、特に昨日はひどかった。

土日は普通は休憩モードだが、昨日は気が向いたので、いつもの平日のように1000m泳いだ。

ここまではよかった。しかし、その後ジャグシーに入って出る時に、立つのがつらいくらい腰に来ている感じがあった。これはやばい。しかしヨガは予約してしまっている。適当にやることにしよう。そう思って、一応参加。

ヨガが始まった頃はさらにおかしくなり、もう、このまま立てないのではないかと思った。

しかし、腰の不調を聞いたS先生が、腰にいい動きを中心にゆっくり目のヨガをやってくれたので、終わった頃には不思議なことに相当程度回復した。

そして、帰って昼寝。

今日は昨日よりは改善したが、ストレッチだけして風呂サウナで髭剃ってランチに出かけようと思っていた。

しかし、ストレッチをしていると、本日のヨガ講師のS2先生に誘われ、腰痛にいいように、あまり激しい動きはせずに、ストレッチ中心でやりますよと誘われたので、予約はしていなかったが、出ることにした。

「陰ヨガ」に初挑戦

そして、今日は「イン・ヨガ」というのをやるという。

「ハタ・ヨガ」は聞いたことがあるが、「イン・ヨガ」とは何か。

どうも、あまり無理のない姿勢をとって、そこで1分〜10分くらい同じ姿勢で、呼吸に集中するヨガらしい。私の腰の不調を聞いて、そうしてくれたのかもしれない。

後ほど調べてみると「陰ヨガ」と書くらしく、YOGA SHELFのHPによると、

陰ヨガとは、一つのポーズを長く保ちながら身体の深部を刺激していく、ゆったりとしたタイプのヨガです。

また、身体の深部にある結合組織や骨に意識を向けていくため、ポーズを長くキープする特徴があります。

運動量が少なくポーズがシンプルで、リラックス効果も高いため、初心者やシニアの方も取り組みやすい点がポイント。

おもに股関節や脊柱、肩などの関節に働きかけていくため、体の柔軟性を出したい方にもおすすめできます。

とある。

また、陰ヨガの歴史としては、

陰ヨガは1980年代にカリフォルニアから広まった比較的新しいヨガです。

武術に精通していたポーリー・ジンク氏によって始められた陰ヨガは、中国の三代宗教のひとつである「道教」がベースとなっている「タオイストヨガ」がもとになっているとも言われています。

現代的なヨガではありますが、ルーツは3000年以上前から中国でおこなわれている伝統的なものなのです。

ということだ。なかなかちゃんとしたヨガらしい。

さて、クラスに戻ると、

最初は、呼吸とか簡単なストレッチを行い、その後、「陰ヨガ」的な動きに入る。

最初はブロックにバスタオルを巻いて、あまり痛くないようにして、チャイルドポーズ。その時におでこの下にそのバスタオルを巻いたブロックを敷いてゆっくりと呼吸をする。

さすがに10分はできないので、今日は3分やるという。

その間に先生が回ってきて腰のあたりを押してくれる。

そして、次のポーズは、そのバスタオル巻きブロックを右の膝の高さに置いて、うつ伏せの状態で、右膝を90度に開いてそのブロックの上に載せる。顔はどちら向きでもいい。その状態でまた呼吸を繰り返す。

そして、次は左側。

その間に先生が回ってきて、太ももからふくらはぎの辺りをマッサージしてくれる。

なんかリラックスできて、効いている気がする。

どうも、このポーズは最近見た何かに似ている。特に天井側から見てみると。

そう、上野で見た「マティス展」にあった。

マティスの彫刻(という一般的な概念とはちょっと違う気もするが)である、「背中」シリーズである。

とくに、初期の1909年に制作された「背中I」のポーズに似ている。

これは、190cm×116cm、厚さ17cmの巨大な「大型壁画作品」である。大きなブロンズの長方形の板に女性が後ろ姿で向こう向きに立っている作品である。

ちょっと右足が曲がっていて、首が左に向き、左手は顔の下に、右手は体に沿って、お尻のあたりに下がっている。コントラポストのポーズを後ろから見ている感じである。

まさに、今やっているこの「陰ヨガ」のポーズである。

このマティスの「背中」は年を追うごとに抽象度を増し、1930年制作の「背中IV」では、基本的なポーズは変わらないものの、ほぼ身体が直線で構成されている。

「マティス展」は日本で約20年ぶりに開催されている大回顧展であり、パリのポンピドゥー・センターが改修されるタイミングで多くの作品を借り出してきたものである。

あらためて、傑作「赤の大きな室内」を含む、マティスのあらゆる手法の作品を見ることができる。

マティスと病気

マティスは老いや病気と戦い続けたアーティストでもある。

アンリ・マティス(1869-1954)はフォーヴィスムで有名だが、彼は84歳で没するまでいろいろなトライアルを続けた。

このフォーヴィスムという言葉は、マティスが名付けたわけではなく、1905年のサロン・ドートンヌの第7展示室に展示されたマティス、ドラン、ルオー、ヴラマンクらの作品をみた美術批評家ルイ・ヴォークセルがその展示室を「フォーヴ(野獣)の檻」と形容したことから生まれた。悪口がもとになっているという意味では、「印象派」という言葉の誕生に近い。

マティスは1889年、20歳の時には、盲腸炎をこじらせ療養する生活を送る。この時に母親から画材をもらい、自分にはこの道(画家の道)しかない、と確信したという。体が弱っている時に得る、何かの天啓だったのかもしれない。

ということで、マティスは20歳になってから画家の道を目指した、遅いスタートを切った画家だったといえよう。そしてその原因となったのは病気だった。

1941年、72歳のときには、十二指腸癌をわずらい、ニースで緊急入院、その後リヨンに移送され、外科手術を受ける。

これは結構命に関わる手術だったらしく、本人も「奇跡的生還」と話していたらしい。

その後ニースに戻るが寝たきりの生活になる。

こうして、体力が衰え、絵筆が自由に使えなくなったことからあらためて始めたのが(最初に試し始めたのは1930年代初頭といわれている)、ベッドでの上でのもできるハサミと色紙を使った「切り絵」だった。この切り絵手法による有名な20点からなる連作「ジャズ」は1947年に発表されている。

マティスはずっと、作風を変えたり実験したりしてきた作家であるが、晩年になって、また新しい「切り絵」という手法に本格的にトライしたのである。

そして、最後が「ロザリオ礼拝堂」(1948-51)である。

彼が最晩年に住んでいた南仏・ヴァンスにある「ロザリオ礼拝堂」を手掛けたのである。

身体はもう相当弱っていて、竿の先につけた絵筆を使って、車椅子に座ったりしながら制作している写真が残っている。普通なら寝たきりになってもおかしくない状態だ。

そして、1954年84歳で亡くなる。

ほぼ、生涯現役といっていい人生だっただろう。

好きなことをずっとやり続けられる人生は、皆がそう希望するものだろう。

しかし、その前に本当に好きなことを見つけられないでいるのがほとんどの人ではないだろうか。定年などで会社を辞め(辞めさせられ)、はたと気づく。

これからの人生は何をしたらいいのか。

ということは、これまでの会社生活というものは、自分が本当にやりたかったことではない、というこれまでの自分の人生の否定にもつながりかねない。

しかし、もう過ごしてしまった時間を悔やんでも仕方がない。

会社生活の中にも、収入以外にも、いろいろと得るところは少なくなかったはずだ。

これからも、いろいろな偉人の晩年をいろいろと研究していくことで、それを見習っていきたい。

マティスの人生や「背中」シリーズのイメージを考えながら動いていると、あっという間にヨガの時間は終わった。

身体をいい感じに動かしたせいか、ちょっとすっきりした気がした。

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