Waiting for Death

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Waiting for Death

というふうにタイトルをつけてみたけれど、
このサイトは人生に絶望した悲観的な人間が、人生を嘆くために創設したものというわけではない。

人は皆死ぬ。それは生まれたゼロ歳の時からわかっている。
しかし、ふだん人はそれを考えないようにしているように思える。

このサイトの執筆者は二人である。大学時代からの友人である。
60
歳代に入り、一人は長年勤めた会社を辞め、新しい次のステージに進もうとしている。

また、もう一人も会社勤めの後起業し、今もその創業者の一人として会社経営に関与しつつも、
今後の人生の真の意味やワークライフバランスの問題に直面している。

これからどう社会との接点を持っていったらいいのか、老後の経済的な状況は大丈夫か、
身体のメンテはどうすべきか、健康寿命を延ばすために、いろいろな病気にはどう備え、
対処したらいいか、

そんないろんな不安を持ちながらも、

残された時間で何を成すべきか、どう残った時間を楽しく有意義にすごせるか。

我々に限らずこれは

そういった意味合いも含めて

Never-Ending Happy Senior Life

というサブタイトルもつけた。

一人は、毎日のようにジムに通う。妻と子供たちも抱えている。

一方、一人は週末のゴルフを楽しむ。また、それ以外の趣味や楽しみもやや焦りつつ試行錯誤している。

そんな中でのいろいろな人々との交流。
シニア特有の、健康な身体づくりや、病気に対する有意義な情報。
毎日、知的な刺激をどう受け続けるか。
どう自分自身の脳を若く保てるか。そのためのイベントや本などの情報はどう得ていくか。
心の健康と平安をどうやって保つか。なにを楽しみに生きていくか。
次の世代へ何を残すか、何を残さないべきか。
いろいろな友人たちとどうつきあっていくか。つきあうべきでないか。

Waiting for Death

それは全人類の、まさに現在の状態である。
生まれたての赤ちゃんから、100歳を超える高齢者まで皆がその状態である。
健康なものから病人にいたるまで皆その状態である。

このサイトは、しかし、60歳台以上のシニアを主な対象としている。
なぜなら、そうはいってもやはり、自分ごととして、真剣に残りの人生の意義を考えたり悩んだりするのはシニアな世代だからだ。

Never-Ending Happy Senior Life

だからこのようなサブタイトルをつけた。

悩めるシニアな人々に、我々ができる限りの体験を共有し、こんな人間たちもリアルに、21世紀初頭に存在したのだ、という証になればいいし、それが少しでも多くの人の生きる糧になればいい。
それはあたかも、鴨長明が約900年前に「方丈記」でやろうとしていたことかもしれない。
あるいは明治時代に夏目漱石や森鴎外が近代人として悩んでいたことかもしれない。

“Never-Ending”といいながら、じつはみな、終わりがあることはわかっている。
生まれた時からそれはわかっている。
この理不尽な「人間」という存在。

しかし、あたかも”Never-Ending”であるかのように残りの人生を楽しみたい。有意義に過ごしたい。
人間という、罪深く、しかし儚い、可哀想な存在。
自意識があるからこそ、その不憫さはその程度を増していく。
現代のテクノロジーが進めば進むほど、その不憫さはその程度を増していく。

そんなことを考えながら、それでも毎日を生きているオヤジたちの本音を、
お楽しみいただければ望外の喜びである。

さあ、我々の人生も、このブログも、あと何年続くでしょうか。。。(笑)

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